困っているお友達を感じる


毎週金曜日は子ども礼拝の日です。幼稚園の二階にあたる部分は教会になっています。100年以上たっている古い教会に一歩足を踏み入れると、ちょっと異空間に迷い込んだような、そこだけ時の流れる速度が異なっているような不思議な感覚を覚えます。子どもたちは毎週金曜日、司祭さまにお祈りをしていただいたり、神さまのお話を聞いたりしながら、一週間のお守りを感謝します。いつでも、どんなときでも自分は愛されているということを知るための大切な時間です。年長組みさんになると、お礼拝のお当番があり、ろうそくの火を消したり、献金を集めたりしますが、このお当番はもちろんみんなの憧れで、みんなとっても楽しみにしています。
 
 そうそう、この献金ですが、今までは「困っている人たちのために神さまに使ってもらおうね。」とお話していました。今回、みんなで「困っているお友だちってどんなお友だちだろう」と考えてみました。

 何もお話しないで、「困っているお友だちって、何に困っていると思う?」とたずねると、ほとんどの子が「お金がないから困っている」「ご飯買えないから困っている」と答えます。
 ほんと、そうですよね。私たちの今の生活では、お金がないと何もできないように感じてしまいます。

 ちょっと、子どもたちにはショッキングかなとも思いましたが、この子どもたちならきっと大切なことを感じ取ってくれるに違いないと確信し、お金があっても病気や戦争、災害などで命の危険にさらされている子どもたちが多いことを写真などを見せながらお話しました。みんなとほとんど同じくらいの子どもたちが、大変な状況にあることに「うそー!」「かわいそう・・・」と、子どもたちも驚いた様子。
 自分たちが毎週お捧げしている献金を、困っている人たちのために使いたい、困っている人たちを助けてあげたいという思いが子どもたちの中で強くなったようです。そして、今の恵まれた環境に感謝する気持ちも。

 知識としてこの状況を理解して欲しいわけではありません。広い世界に目をむけ、そこに何があるのかを“知る”こともときには必要でしょう。でも、レイチェル・カーソンが『センス・オブ・ワンダー』に著しているように 〜「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではない〜 と強く思います。困っている人たちに思いをはせ感じたこと。それが子どもたちの心の栄養になってくれること願っています。